60周年を迎えて


50周年の時にお手伝いして以来、気を入れてお役に立つようにと松本先輩共々新執行部で、この10年で大変化を起こしました。と力んでも出来ることは限られております。
  幸いこの10年間は、杉山先生から鈴木先生へ世代交代もあり、若手(と言っても小生より10年から15年若い後輩たち・・40~50歳代の現執行部の皆さん)が理解を示し協力してくれ、超OBの方々が物心両面で応援していただいたお陰での10年である。

  特に初代会長・ブラジル在住の近藤先輩(1期生)からは定期的にお手紙や会報原稿をいただき、毎回「学院バレーは、常に強くあってほしい」の一言があった。2代会長・加田先輩(4期生)は超OBを良く取りまとめて頂き、我々がやりやすい体制と雰囲気を作っていただいた。

  3代目会長・松本先輩(6期生)は、学院OBの中では出色の日本代表クラスのプレーヤーとして大活躍され、重篤なる病を得たにも係わらず学部の指導委員長をも歴任され、学院OB会のこの10年の推進者であった。小生は追随して来ただけであるが、60周年を記して再度50周年のときに想起した原点・・学院の現役バレー部を応援することと、現役とOBおよびOB間の「絆(きずな)」造りと「継続は力なり」を継承する約束事を皆さんとともに再確認したいと思います。

  学院バレー部の現役・OBのために何が出来るか?何を目指すのか?1期生の近藤博之先輩を初代会長にいただき、新たにスタートした「稲高バレーボール倶楽部」は『会員相互ならびに現役との交流・親睦を図り、現役への指導・助言・援助OBを通じ、バレー界の普及・発展に寄与するとことを目的とする』と大上段に構えましたが、精神は良しとして、学部の「稲門倶楽部」と同様な活動を目指してもそれは叶わず、実態は「OBによる・OB/現役のための交流・親睦活動が主体」で、それはそれなりに継続されていることはご同慶のいたりです。

  「倶楽部規約の制定」から始まり、「記念基金の募集」「年次総会の定期開催」「会報の発行(年2回)」「学院の応援・支援」など曲がりなりにもスタートし、それを継続する事が大きな財産になると信じてやってきました。
  特に、毎年集められる限られた会費の中から、学院現役の練習・試合・合宿の手助けに出向いてくれるOB大学生・院生の負担を少しでも少なく出来ればと、小額であるが費用援助を継続、そして「会報発行が継続できていること」およびその会報に「各年代の代表が自分達の時代の思い出」などを1期生から順次掲載してきたことが、勝利の記録は少ないが、学院バレーの歴史を書き残すことに通じて貴重な資料となっていると自負しています。

  もちろん「総会の定期開催」は当たり前のこととして定着させ、「学院の応援・支援」活動は、単独参加が難しくなった早慶定期戦ではなく、夏の「東京6大学付属高校バレーボールリーグ戦」にOBが大挙して(?)応援に出向く活動を呼びかけ、それなりに定着しつつあり、さらに参加者を募って行きたいと思っています。
  これらのことが、ご苦労いただいた・いただいている田中・杉山両先生と現役の鈴木部長先生・監督へのご慰労と感謝の気持ちの表れとお汲み取りいただければ幸いです。

  今後の課題は数限りなく存在しています。祖父・父親・子/孫と3代にまで歴史を刻んでいる団体ですから、その世代を隔たりなく交流するということは、至難の極みです。上の世代が少しでも下の世代に手を差し伸べて交流を図る・下の世代は上の世代の生き様から何かを学ぶというお互いの謙虚な相互理解を持ち寄り、「早稲田大学OB」「学院OB」「バレーボールが大好きOB」と言う共通項の土台に立って交流拡大・継承を期待したいと思います。
  今回60周年を記念して、10年前にOB諸兄の浄財を募った「記念基金」を活用させていただき、60周年の記念総会を開催し、継続発行してきました会報(19号まで)を結集し、「歴史の一里塚」として再編集した『記念誌・自ら燃える』をも発行できる運びとなりました。
  これも「継続は力なり」を具現することであり、会員相互の理解と交流が更に活発になることを祈って止みません。

  60年、人間で言えば「還暦」を祝うと同時に、更に上を目指して次の世代交代も間近です。 皆様のご理解とご協力をお願い致します。有難うございました。

注:『記念誌』のタイトルが決まったら、ここに「記念誌・自ら燃える」と入れて下さい。