自分史~出遭い


平成15年9月

「遭う」は「遭遇=思いがけなく出会うこと」を意味する

【前回選挙】

  4年前の市長選挙の時、まだサラリーマン現役で市政への関心も薄く、現市長が教育畑出身で曹洞宗僧侶・3期目への挑戦・75歳 チョット古いなという感想を持っていた程度であった。そこに若干45 歳の新人が流山を財政破綻から回避・救助は今なら間に合うと立ちあがった。心情的には応援したいがこの古い体質の町で、どれだけの人が理解し・応援するのか疑問は大きかった。ましてや小生の住んでいるところが流山の辺境と言われている東南部の外れ・・残念ながら公正な行政サービスを受けておりますと満足感を表明している住人は少ないと思われる地域。柏市への合併等の方に関心があって、イマイチ盛り上がっていなかった。

  母がお世話になっていた福祉関係のKさんから、井崎さんを「若くて、改革に熱心で、正直な信頼出来る人だから応援してほしい」というお話を聞き、初めて参加したのが“井崎さんを囲むミニ集会”であった。流山市が直面している財政問題に付いて、初めて情報としてインプットされた。分析・対応策など新鮮な感覚を受け取れた。早速家内と二人で夕方から夜にかけてJR線路から南側の向小金地区1軒1軒ビラを配って歩いた。

  自宅にご近所・友人・知人30名ほど集まって頂いてミニ集会も開いた。井崎さんの話もだんだん練れてきて、関心を呼ぶようになってきた。新鮮な経験であった。

しかし素人が集まり、燃えるような熱意でもって当時で考えられる可能な限りの手法と手段を講じ、大きな流れが出掛かったのは確かであった。

  先方陣営も慌ててビラや張り紙で批難・中傷色々攻めてきた。それでも安心できなかった様で、業界応援団、学校関係者や老人会・自治会など本来の票田に強烈に梃入れしてきたのを垣間見た。

  井崎陣営はかなりの善戦健闘をしたが、結果は「NOTYET」であった。


【今回選挙】   今回は、前任が引退し新人同士の争いとなった。井崎陣営は前回の選挙後も地道に活動し、支持者も全市的に増え、素人機関ではあるが、戦略・戦術を練る時間と知恵を出す陣容が確保できたので、前回とは格段の違いで選挙戦を進められたと言えるだろう。とはいえ選挙カーのスピーカーが壊されたとか、事務所の女性用トイレの鍵が壊されたとか批判・中傷を意図した印刷物など嫌がらせには悩まされ続けたのも現実であった。

  しかし最大の勝因は、勝手連の熱心な活動はもとよりであるが、候補自身が一回り大きくなった事、自信を持って対応していることが、周囲に安心感(当選出来るだろう)と使命感(当選させなければ)を与えた事だろう。その上に戦略上の進歩――市長を推薦する「流山ドラマティッカ-ズ」の予想外にドラマティックな活躍としがらみの無い無党派市長候補として「日本フロ ンテアの会」の推薦を受けた事と――が顕著であった。

  未だに「ドラチカ」ってナンなの?正体不明ではなく流山市長を選ぶ市民団体なのだが、その出発は??であった。それがよかったのだろう。

  従前からの「市政ニュース」配布も引き続き実施されていた。 しかし選挙戦前は、小生の担当地域の弱さ・・行政サービスから疎遠と言う辺境感覚と、地元住民の殆どが流入者で地域的に柏市民の感覚で流山市政への関心が薄い、投票に出向かない年齢層が多い等の特性を如何に克服するか、市辺境・東南部の東地区(我々はトントン地区と呼称していたが)関係者は、身体を動かして有権者に各種情報をお届けする事・真心で1軒1軒訪問活動すること・ミニ集会で井崎さんを知ってもらう事にひたすらに頑張った。

  相手陣営のアプローチが「市長は誰だれ、市議は誰だれ」と派手なセットでの売りこみ(ポスターから2人セット)を南柏駅頭を中心に、人海戦術で働き掛け続けていた。

  そんな終盤の中、小生は予定外の肩の手術のため3週間入院。退院後(勿論そのブランクで井崎陣営にご迷惑を掛けないための手立てを打っておいたが)機会を捉え、試みた市内北部・中部地区のサッカー関係者や校友会関係者等選挙に直接関係無い人達への支援依頼と情報集めの会話の中に「西川さん今度の井崎さんは大丈夫だよ。圧倒的ではないのか?」が出てくるようになった。自分の地域で受ける感覚との差――これはきっと「流れが出てきた」からと判断し、自分の地域をもう一度掘り起こすべく、友人・知人、サッカー関係者など重点的に電話作戦や訪問で声を掛け、何だか自分の不安を取り除くがごとき活動感覚となってしまった。

  投票日前日、選対事務所に詰め、サッカー部関係者・特に最近選挙権を取得した若手OBとそのご父兄を中心に、再度電話で応援依頼、つい声が大きくなり狭い電話作戦室の仲間の失笑を買ったが、活気付けにもなったと自負している。

  投票日当日、市外にいるサッカー部OBの3男を呼び寄せ一緒に投票を済ませて、集計が始まる頃に地区総括の桑原さん・増岡夫人等と共に事務所を訪問した。明るい雰囲気、随所で起こる笑い、TVの報道で起こる大歓声、流れを創り出した陣営の結果の見えてきていた風景であった。

  当選確実がTVで報道された。圧倒的であった。ドット涌く陣営。祝勝会の準備。秋元前市長もお祝いに掛けつけてくれた。いよいよセレモニー。TV報道陣も集合。準備完了!

  期間中、大変印象的だったのは、井崎夫人の動き!――最後まで――でしゃばらず、目立たず、頭低く、それでいてしっかり気配りと状況を掌握されていた。

  我々の地域の応援団も前回よりも若干若手が多くなり、時代を担う若者達がこの流山をこれ以上悪くしないためにもと井崎さんの応援に掛けまわってくれた。 昼間は仕事でいそがしいので、夜間と休みの日に汗を掻いて走り廻ってくれた若手実業家のEさんは、汗だけではなく知恵と情報も出してくれた。農作業と配達の合間に、市政ニュ―スや選挙情報を配ってくれた若手無農薬農家のKさんご夫妻。 相手陣営の批難・中傷情報に憤慨して、反論ニュース(有権者を納得させるようなソフトな仕上げ)を徹夜で制作・印刷してくれたIさんご夫妻。 後日の「トントンランド」での祝勝会、珍しい知人に遭遇。長男の中・高等学校の同窓生のご両親。何故こんな所で?井崎さんの叔父さんご夫婦であった。

  井崎さんとの出発も、そもそも「出遭い」。色々な「出遭い」の多いイベントであった。

Go!Go !“IZAKI”